強く望めば未来が開けることを知った ~第二話~

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誰もがうらやむ会社の看板で輝こうとした劣等生

世界最高峰のホテルで社会人生活をはじめた私。


認めてもらいたい私。
いい子ちゃんの私。


認められたくて、はめをはずせいないいい子ちゃんの私。
自信がない私が、夢を実現。
本当に楽しかった。

オープンに合わせて7月入社だった私。
せっかく自由な時間がある!

香港に行こう!


同期入社の友人とフラッグシップホテルを見に行くことを計画。
この旅で根性がつきました。

初海外一人旅で迷子になった20歳女子

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2人旅行のはずが、友人がやむを得ず当日にドタキャン。
思いがけず一人旅になり、出発までは不安でいっぱい。


でも、この経験が海外でも一人でできる。
その自信がつくきっかけになりました。

飛行機で入国書類の書き方がわからず、隣のサラリーマンに教えてもらう。
夜市のバスツアーで迷子になり、血の気が引く思い。
ガイドさんに泣いて電話し、迎えに来てもらった

今ではいい思い出です。

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そして入社。

毎日が本当に楽しかった。
ホテルはまだ開業準備中。
みんなで開業に向けて準備していく。

毎日バタバタでしたが夢中でした。


そんな大好きなホテルでの勤務。
嫌なことも特にありませんでした。
毎日本当に楽しかったです。

2年目も終わりのこと。

突然、転機はやってきました。
それがニューヨーク旅行だったのです。

アメリカ (3)

留学経験のある同期との旅行でニューヨークに行きました。

実は、同期の半分以上が海外経験者。
帰国子女や短期留学経験者ばかり。

その中でも、自力でアメリカの大学を卒業したその子は輝いて見えていました。


どこに行ってもスマートにこなすその子を見て、

かっこいい!
やっぱり海外で挑戦したい!


そう思いました。

その当時の私のTOEICは550点。
いわゆる大卒の平均点。

決してずば抜けて良いわけでもなく、
むしろ足りないくらい。

自分1人の力で海外に行く勇気はありませんでした。

旅行から帰国後すぐ、ホテルの有償インターンシップを斡旋する会社があることを知りました。

迷わず説明会に参加。
なんと、会社の先輩がスピーカーとして登壇していました。

直感が働き、私はこれでいくんだ。
そう思いました。

直感を信じて生きてきた私の引き寄せ力

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この3ヶ月後。
私は給料3ヶ月分の金額を投資し、
有給インターンシップに参加しました。

あのニューヨークから3ヶ月後のことでした。
私の人生は大きく前進したのです。


転職先はモルディブ
常夏の南の島。

コバルトブルーの海に白い砂浜。
多くの方はハネムーンやセレブ御用達のリゾートのイメージがあると思います。

行ったこともない未知の国。

当時はLINEなどもなく、電話面接。
電話では「イエス」しか答えていなかった。

そんな私が、1つの島に1つのリゾート。
隔離された環境に飛び込みました。

英語が全然わからないことに衝撃を受け、
島に着いた初日は本当は逃げ出したかった。


島から出るにも「スピードボート」か「水上飛行機」に乗らないと出ることができない。

逃げられない。


逃げ癖のある私には逆によかったのかもしれない。

とにかく、やるしかなかった。


島に到着した頃はまだまだ開業準備の工事中。
島の至るところに重機がありました。

そんな中、スタッフが世界中23カ国から集まり、
準備を進めていました。

日本人のいない環境。

得意だと思っていた英語もわからず初日に号泣。
東京で得た変なプライドはポキッと簡単に折れました。

ただ、幸運にも英語を第二外国語とするスタッフ向けの英語レッスンがあり、参加。
無料で英語が勉強できるなんてラッキー!
そう思いました。

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多くの仲間と、最初は英語が喋れずバカみたいといわれて泣いたあの日もいい思い出です。

そこがモルディブでなければ、
新卒の給与3ヶ月分を払っていなければ
私は逃げ出していたと思います。

働きたい!海外に出たい!


強くそう思って日本を出てきました。

でも、
「コミュニケーションが取れない」
という大きな壁が何度も立ちはだかる。

何度もくじけそうになりました。

逃げられない環境。

本当に幸運でした。

一緒の部署で働くスタッフの多くはとても親切。
英語もろくにしゃべれない私の話を聞いて、アドバイスをくれました。

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特に、ドイツとスリランカのミックスの同い年のジェニーは1番の理解者でした。

彼女はモルディブに来る前は、
アメリカのホテルで働いていました。

アメリカが初めて。
ホテルで働くことが初めて。
右も左もわからない。
そんな状況だったそうです。

その時に出会った日本人女性の同僚が

「心の支え」


だったそうです。

親身になって何から何まで教えてもらった。
そのことにとても感謝している。

その気持ちから、こんな私にも優しく寄り添ってくれました。

日本人は世界的に見てもとても誠実で真面目です。
「和の心」と「協調の輪の心」は、実力社会の海外であってもとても重宝されます。

そんな女性がいると言うことを知れた。
そのことも、海外に出たての私の大きな励みとなりました

そんなジェニーは半年も経たずに
ドバイに転職していってしまいました。

私もちょうど、
「コミュニケーションが取れない」
一番つらい時期を抜けた頃でした。

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モルディブ2年目にはステップアップをしたい。
別のリゾートに転職をしました。

世界で初めての海中レストランを作ったリゾート。


その転職も幸運が重なりました。

東京時代の上司に
モルディブに私の元上司がいるよ。連絡してみてね」
と言われていました。


モルディブの国内転職を考え始めてすぐに連絡を取ったところ、
すんなりと面接が決定。

一度だけ人事部長との電話面接を行い、
翌月には働き始めていました。


モルディブの中でもハイクラスで有名なリゾートに転職できた事は、私にとって自信になりました。

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転職から半年後。

そのリゾートにジェニーがマネージャーとして着任しました。

奇跡的な再会。

本当に嬉しかった。
私のつらい時にはジェニファーがいる。
そんなモルディブ生活でした。

3.11の震災で痛感した日本の遠さ

そんな楽しいモルディブ生活。
まさかモルディブから出るなんて思ってもいませんでした。

きっかけは、日本で起きた311の東北地震


勤務中に起きたその出来事は、私を大きく揺さぶりました。

「家族は大丈夫?」
「友達は大丈夫?」

津波を経験したモルディブ人たちは一斉に私に連絡をくれました。

モルディブは日本から遠すぎる。

直行便もない。
国際空港からリゾートまではさらに乗り継ぎが必要。
日本で何かが起きたときに帰りたいのに帰れない。

このできごとが、私の東南アジアの国々への転職を大きく後押ししました。

転職を考えるようになりってから2ヶ月後。
マレーシアのホテルに就職が決まった私がいました。


東京でもモルディブでもハイクラスのホテルに勤務。
同じような5つ星ランクのホテルで探していました。

幸運にもクアラルンプール内でも有名な高級ホテルに転職。
ただしこの転職は、私には黒歴史となりました。

平和ボケの私に起きた「試練」と「救い」

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モルディブの客層は、基本的に
「のんびり」と「ゆったり」
としたゲストばかりでした。

バケーションやハネムーンでHappyな方ばかりです。
ビジネスのお客様はほとんどいませんでした。

それに比べてクアラルンプールは大都会。


東南アジアの中でも急成長ぶりで大注目を浴びている。
そんな経済が回る場所。
ビジネス利用のお客様が大半だということは容易に想像がつきますよね。

でも、私は平和ボケしてたんです。


基本的にHappyなゲストしか接していなかった2年半。
4、5本頭のネジを落としてきた私。

自分自身で何度か訪れたクアラルンプール旅行が楽しかった。
そのイメージしか持たずに飛び込みました。

人の流れのスピード感にまずは翻弄されました。

まるで”ど田舎”から”大都会”に出てきた。

そんな感じです。

当時、ホテルにとって日本人ゲストはドル箱。

中国が台頭しているとはいえ、まだまだ日本人マーケットが盛り上がっていました。

企業の重鎮たちが定宿とするホテル。


毎日VIPがご到着とご出発を繰り返していました。

求められるのは、日本人が日本で受けるようなキメの細かいサービス。
モルディブのおおらかな環境とは真逆でした。

接客をする日本人スタッフは私を含めて2人。


ホテルに住み込み、
同じ部屋で過ごし、
同じ場所で働く。

そんな生活でした。

部屋をシェアすることについての問題は特にありませんでした。
と思っていたのは表面的な私です。

いつも誰かに見られている。
一人になれない。
心が落ち着かない状況。

それ以上の悩みは、忙しさのスピードについていけない。

私を数か月悩まし、うつ状態になりかけました。
中学生でいじめにあって以来の大きな挫折です。


海外にきて、はじめて

「日本に帰りたい」

そう思ったのもこの時です。

初めて母に弱音を吐きました。
クアラルンプールにきて1年足らずでの出来事です。

1年だけ頑張ろう。
2年の契約だけど続けるなんて無理だ。

そう思っていた矢先、
タイからヘッドハンティングのお話がありました。

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知らない国の番号からの着信

なんだろう。
怪しい。

ただそう思いました。

でも、もしかするとどこかで出会ったお客様からかもしれないと思い電話に出ました。

そこからとんとん拍子で面接、採用と決まりました。
ちょうど1年マレーシアで働きタイに転職。

「ここから逃げ出したい。」

そう思っていた私を、まるで誰かが見ているかのようでした。

そう、私はマレーシアからタイに行くことに決めました。

To be continued....★

第三話でお待ちしております!

ワンクリック世界につながる (1)